縁  起

 伊勢和山極楽寺は天台宗の寺院で、本山は比叡山延暦寺になる。開基は、白雉二年(651年)法道仙人と伝えられ、当初は竹谷山道脇寺西の坊といっていたが、極楽絵図である『當麻曼荼羅』を有しているのでこの地も弥陀の国として極楽寺という寺号が勅号されたと伝えられる。

 当初は多数の堂宇伽藍があったが、天正三年(1575年)裏山にあった野間城落城の時に兵火により焼失した。享保九年(1724年)には本堂をはじめ諸堂、四年後には仁王門が中興された。しかしその後も度々火災に遭っており、建造物、仏像など古いものは現存していないが、幸いにも避難させやすかった仏画類(掛け軸類)が多く遺っている。

 極楽寺は、中世、当地を支配した有田氏と関係が深く、『六道絵』をはじめ『當麻曼荼羅』『釈迦涅槃図』『竹谷山道脇寺往古伽藍之図』『伊勢和山中興図』『千手観音二十八部衆像』などを拝領したのではないかと思われる。